第41回 酸性雨から越境大気汚染へ

平成27年9月17日(木) PORTA神楽坂 18:3020:30

           藤田慎一 氏  (ふじた しんいち)



1949年生まれ。最終学歴:北海道大学大学院

理学研究科地球物理学専攻修士課程。

学位:理学博士(名古屋大学)。


勤務先:電力中央研究所名誉研究アドバイザー、

東京理科大学客員教授


 1.はじめに

越境大気汚染という概念は,昨日今日に生まれたものでない。19726月にストックホルムで開催された国連の人間環境会議で,スウェーデン政府が国境を越えた環境問題として,酸性雨を提起したことが直接のきっかけである。これに前史を含めると優に半世紀以上に及ぶ経緯がある。

原因物質は二酸化硫黄と窒素酸化物の二つであり,長距離越境大気汚染条約の締結をめぐって,ヨーロッパを中心にながい国際論争が繰り広げられた。この会議には初代の環境庁長官であった大石武一も出席し,65日を環境の日とするという提案を行って各国の賛同を得る。だが越境大気汚染は対岸の火事というべきか。日本の反応はいま一つであった。

2.日本の酸性雨

 日本で酸性雨が報告されたのは,翌年の19736月,静岡県と山梨県で数百人の住民が,霧雨による眼や喉の痛みを訴えたのが最初である。農作物には斑点状の障害もみられた。さらに大規模な被害は,19747月に関東一円で発生した。19756月にも関東北部で同様の現象がみられた。被害が最も大きかったのは,梅雨前線の北側に位置する埼玉県と茨城県と群馬県を囲む地域であり,大気下層には温度逆転がみられた。

 被害の発生は雨の降り始めに集中し,同時に酸性度の強い降水が観測された。調査の結果,眼や喉の痛みはホルムアルデヒト,ギ酸,過酸化水素などの刺激性の物質と,水素イオンとの相乗作用によるものではないかと推定された。酸性度が高いのは事実であるが,被害はそれだけでは生じないという見解は当時からあった。だがこれらの物質の起源や履歴は,解決せずに残された。

皮肉なことに,環境庁が5ケ年計画で調査を開始した1975年の夏を最後にして,被害の届け出は聞かれなくなった。日本ではこの一連の事件をさして湿性大気汚染,あるいは「いわゆる」酸性雨とよんできた。

 有力な自治体の試験研究機関が中心となって,全国レベルの調査が精力的に続けられた。地域住民の関心が高く,自治体にとっては格好なテーマだという事情もあった。樹木の衰退や湖沼の酸性化といったヨーロッパの酸性雨とはやや違ったものという認識から,「 」をつけて酸性雨とよばれたのではあるまいか。

日本の大気汚染の防止対策は,欧米のように酸性雨をきっかけに始められたものではない。だが1960年代の後半に頻発した公害をうけて,1970年代に精力的に進められた排煙脱硫のレベルは世界を先行していた。こうした環境保全への自負もあり,酸性雨の被害は将来にわたって生じないのではないか,という見方が支配的であった。越境大気汚染はほとんど問題にされなかった。

ところがそれから約10年後の1985年,群馬県の衛生公害研究所の関口恭一が,ほとんど自力で踏査した結果として,関東地方の広い地域でスギ枯れがみられることを報告する。そして原因の一つとして,酸性雨を指摘したことから事情は変化した。関口らの報告は社会的にも大きな反響をよび,環境庁と林野庁は緊急調査を実施した。

 調査の結果,スギ枯れを酸性雨のみと結び付けることは難しいこと。高濃度オキシダント(大部分はオゾン)の発現地域との間には,地理的によい対応がみられることがわかった。日本列島のほぼ全域でオゾン濃度は経年的に増加していることが,その後の調査で明らかされていく。

 これに先立って環境庁は,1983年に5ケ年計画で第1次酸性雨対策調査を開始した。この調査は第4次まで17年間続けられたが,2001年に東アジア酸性雨モニタリングネットワークEANETが本格的な稼働を開始したため改組され,現在は越境大気汚染・酸性雨対策調査のもとに続けられている。そして1990年代になると,生産活動の進展が著しい東アジア,とくに中国の酸性雨に国内外の関心が集まるようになる。と同時に日本の酸性雨がマスメディアに登場する機会は減ってきた。

さらに2000年代になると,二酸化硫黄や窒素酸化物にとどまらず,オゾン,微小粒子状物質PM2.5,黄砂,農薬,重金属,水銀,火山ガス,火災煙,微生物,放射性物質・・・と,およそアジアに排出源をもつあらゆる物質が,広域的な輸送現象と複雑に関係していることが明らかになってきた。

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講演中の藤田先生

 

3.東アジアの酸性雨

 図1は,原因物質の排出域と酸性物質の受容域との関係を模式的に示したものである。人間や天然の営みによって,さまざまなガス状・粒子状の汚染物質が大気中に排出されている。こうした汚染物質は,移流・拡散,変質,沈着・除去の三つのプロセスが並行する形で輸送されていく。これらの過程をへて濃度と沈着量の地理分布や時間変化が決まり,それが受容域の環境が許容する閾値を越えたとき被害は顕在化する。

1原因物質の排出域と酸性物質の受容域との関係

酸性雨が国際問題となり得るのは,排出域と受容域との間には,しばしば数百kmあるいはそれ以上の距離のへだたりがあること。つまり国内で環境対策を講じても,隣国がこれに同調しないと徒労に終わる可能性があるからである。

越境大気汚染の全体像を評価するためには,まずどの地域からどの程度の量の汚染物質が排出されているのか。排出源の種類,高度,強度を推定して排出量の分布図を作る必要がある。

大気の最下層における濃度や沈着量は,実際に観測を行って把握しなければならない。広い地域に観測ネットワークを展開し,降水・ガス・粒子の試料を定期的に採取・回収して,化学分析により濃度を定量する地道な作業が必要である。

排出域と受容域との関係は,長距離輸送モデルとよばれるコンピュータモデルを開発して解析する。そして両者の関係が一定の精度で再現できることを確認したうえで,さまざま評価のために利用する。

観測データをふまえて,日本列島における各成分の湿性沈着量の分布をみると,硫酸イオンは日本海側で多く,硝酸イオンは日本海側と関東で多い。またアンモニウムイオンは西日本と関東で多く,カルシウムイオンは日本海側で多い。

以上の結果として,水素イオンの湿性沈着量は,冬季は北陸を中心とした日本海側,夏季は四国から東海を中心とした太平洋側の両方に分布の中心をもつようになる。

2降水の酸性成分と塩基性成分の年平均値の関係

2はさらに視野を拡げて東アジア地域を対象に,降水の酸性成分と塩基性成分の年平均値の関係をプロットしたものである。華北にある北京の硫酸イオンや硝酸イオンの濃度は東アジアで最も高い。だがアンモニウムイオンやカルシウムイオンの濃度は同じように高い。これはアンモニアやアルカリ性のダストが,定常的に大気中に供給されて,降水要素に取り込まれていることを意味する。

東アジアで最大の二酸化硫黄の排出域は,渤海湾と黄海を囲む沿岸地域にある。観測地点はその後背に位置するが,酸を中和する成分が十分にあるから,年間を通して酸性度の強い雨は降っていない。

太平洋上に位置する八丈島の硫酸イオンや硝酸イオンの濃度は,東アジアで最も低い。だがアンモニウムイオンやカルシウムイオンの濃度はさらに低い。大陸からの距離に対する減衰率は,このように酸性物質よりも塩基性物質の方が大きい。観測地点は渤海湾や黄海から千数百km以上離れている。ところが酸を中和する成分がほとんどないから,年間を通して酸性度の強い雨が降るようになる。

東アジアの降水量の分布を概略的にみると,本州南岸から三陸東沖で最も多く,大陸北西部の乾燥地帯で最も少ない。日本列島の上層風をみると,夏季には太平洋や東シナ海などさまざまな方面から到達する空気塊が見られる。これに対して冬季には,大陸から東シナ海をへて到達する空気塊が卓越している。こうした降水量や上層風の季節変化は,原因物質の排出源の分布と相まって,東アジアの降水の水質の形成に大きく関係しているものと推察される。

電力中央研究所の市川陽一(現,龍谷大学)らは,長距離輸送モデルを用いて,日本全域に沈着する硫黄酸化物の起源を世界に先がけて推定した。その結果によると,国内に由来するものが約40%,火山に由来するものが約20%,国外に由来するものが約40%である。その起源は季節や地域によってだいぶ異なる。冬季の日本海側では国外に由来するものが約80%と多いが,夏季の太平洋側では国内と火山に由来するものが約70%と多くなる。

計算の結果は,199211月に発表され,多くのマスメディアで報道された。反応はさまざまであった。これまでの想定を裏付けたという評価がある一方で,このような議論する環境はまだ整っていないという批判もあった。中国と進めていた酸性雨の共同研究は,先方の申し入れにより中止になった。

 だがこれがきっかけになって,長距離輸送モデルの開発にはずみがついたことは,まぎれもない事実である。日本・韓国・中国・台湾のほか,欧米の大学や研究機関でも,つぎつぎとモデル開発が進められ,計算結果に基づいて排出量と沈着量の関係が議論されるようになった。

モデルの妥当性は,ふつう観測データをもとに検証する。ところが妥当性を確かめたはずのモデルを用いて両者の関係を評価すると,結果に違いが生じるという奇妙なことがおきた。

もっとも違いが大きいのは中国の影響の評価である。日本の研究者の評価は最大で49%と大きく,中国の研究者の評価は3%にすぎない。アメリカの研究者の評価はその中間にあたる。単なる偶然というには話ができすぎている。日本側が越境大気汚染を主張しても,中国側はそれを否定するだけではなかろうか。原因を探るためには国際的な議論の場が必要であった。

 こうした議論の場として,私たちは1998年にミックス・アジアとよばれる研究プロジェクトを立ち上げた。東アジアを対象に,特定の年月を選んで,汚染物質の濃度や沈着量の計算をよびかけたのである。世界中の七つの大学や研究機関から計算結果の提供があった。

 電力中央研究所の速水 洋によれば,五島の観測地点における硫酸塩濃度の大規模な濃度変動のパターンは,輸送モデルでもおおむね再現されている。オゾン濃度の再現性もほどほどによく違いも小さい。一方,二酸化硫黄については,高濃度をやや過小に評価する傾向があるが,濃度変動のパターンはおおむね一致している。粒子状の硝酸塩については,極端に過大あるいは過小な場合もあり整合性はあまりよくない。その原因としては,境界条件の与え方,計算格子の取り方,化学反応の扱い方の違いなどがあげられた。

 

4.東アジア酸性雨モニタリングネットワークの設立

東アジアの各国は,独自に酸性雨のモニタリングを展開してきた。だが試料の採取や分析の方法は各国まちまちであり,ヨーロッパや北アメリカのように標準化されたものではなかった。

こうした背景のもとに,1992年に日本の環境庁は,東アジア酸性雨モニタリングネットワーク構想を提唱する。各国の観測の専門家が招集され,合意の形成にむけた議論が何回か行われ,観測マニュアルの策定が進められた。ネットワークセンターは新潟に設置された。まず2年間の試行稼働が行われ,その結果をふまえて20011月に図3に示す観測局において本格稼働を開始した。現在の参加国は,日本 ,中国,インドネシア,マレーシア,モンゴル ,フィリピン,韓国,ロシア,タイ,ベトナム,カンボジア,ラオス,ミャンマーの計13ケ国である。台湾が参加していないことはたいへん残念である。

 ヨーロッパに遅れること約30年,北アメリカに遅れること約20年にして,東アジアにも本格的な酸性雨のモニタリング体制が確立したのである。

3:東アジア酸性雨モニタリングネットワーク(EANET)の観測局


熱心な聴講風景


5.越境大気汚染の将来予測

将来の越境大気汚染を検討するためには,将来の排出量を予測する必要がある。長距離輸送モデルの入力として,確度の高い排出量の情報が必要だからである。

表1は,国立環境研究所の大原利真らが推計した二酸化硫黄と窒素酸化物の排出量の経年変化と将来予測である。2020年の排出量の予測には,三つのシナリオが用意されている。環境対策を熱心に行った場合PSC。ほどほど行った場合REF2000年時点のままで推移した場合PFCである。環境対策が現状のままで推移したときには,2020年の二酸化硫黄の排出量は,年間4000万トン以上に達する可能性がある。

 

1:二酸化硫黄と窒素酸化物の排出量の経年変化と将来予測

ところが中国の研究者は,火力発電所で排煙脱硫などの環境対策を講じるようになった結果,2000年代のおわりに排出量は減ったはずだと主張する。九州大学の板橋秀一(現,電力中央研究所)らが,人工衛星のデータを解析した論文でも,これを支持する結果が得られている。これに対して窒素酸化物の排出量は,全体としてみればまだ増加が避けられない。

では日本列島の降水成分,とくに硫酸イオンや硝酸イオンの濃度は,東アジアの生産活動の発展に対応して,経年的にどのような変化をたどってきたのだろうか。長期にわたる降水の質的な変化を解析するうえでは,非海塩起源の硫酸イオンに対する硝酸イオンの当量濃度比がよく用いられる。

 図5は大船渡,狛江,五島の3地点における濃度比の経年変化を解析したものである。2000年ころ大船渡と狛江でみられる濃度比の激減は,三宅島の噴火によるものである。濃度比が増加したのは3地点とも1980年代から1990年代のことであり,2000年代になると変化は明瞭でなくなった。だが各地点における濃度比の変化はかなり異なる。この年代にみられた濃度比の増加率は,大船渡では年間約3%,五島では同じく年間約2%であるが,狛江の濃度比の増加率は,年間約5%と他の2地点よりも大きい。これは狛江における濃度比の変化には,東アジア規模の変化のうえに,首都圏から排出された窒素酸化物の影響が重なっていたことを示唆する。

5:日本列島における降水の非海塩起源の硫酸イオンに対する硝酸イオンの当量濃度比の経年変化


図中の曲線群は同じ期間の中国における二酸化硫黄に対する窒素酸化物の排出量比の推移である。中国の排出量比は年率1%から2%くらいの割合で増加してきた。そして最近の濃度比の増加率は,排出量比の増加率に近い値であることがわかる。

このように2000年代のなかごろまで横ばいで推移してきた濃度比は,2000年代のおわりには増加に転じた形跡がある。その傾向は日本列島の広い地域で認められるが,とりわけ西日本地域の日本海側で冬季に著しい。もしこうした濃度比の変化が,中国における排出量の変化と関係したものなら,その理由としては窒素酸化物の排出量の増加,あるいは二酸化硫黄の排出量の頭打ち,さらにはその両方が関係しているのではないかと考えられる。

観測データの解析だけから,これらの仕分けを行うことは難しい。長距離輸送モデルの援用が必要であるが,最近,板橋秀一らは日本列島の濃度比の経年変化の再現実験を行った。その結果,中国における窒素酸化物の排出量の増加と,二酸化硫黄の排出量の減少の両方が濃度比の変化に関係していることを見出すとともに,両者の寄与はおおむね同程度であることを示した。これは窒素酸化物が関与した降水の質的変化が,日本列島ですでに顕在化していることを意味する。

 

6.2013年冬季のPM騒動

越境大気汚染にあずかる物質は,二酸化硫黄や窒素酸化物だけではない。およそアジアに排出源をもつあらゆる物質が,広域的な輸送現象と複雑に関係していることが明らかになった。

これらの物質のなかで,社会的に大きな関心がよせられているのは,オゾンとPM2.5の二つである。大気中のオキシダント濃度が120 ppbを超える高濃度の発現は,夏季の関東内陸でよくみられる。だが高濃度オキシダントの発現は,春季の西日本地域でもみられるようになり,越境大気汚染との関連が指摘されるようになった。

 20131月,日本のマスメディアは中国のPM2.5汚染をさかんに取り上げた。ことの発端は,北京のアメリカ大使館が在住の自国民向けのサービスとして,PM2.5濃度の測定を開始したこと。その結果をツイッターで公開したことにある。アメリカ大使館が「危険だ」,「重度に不健康だ」とつぶやいたのに,中国当局の発表は「軽微だ」というように著しく違なった。それが中国国内で知られるようになり,2013年に入って急に火がついた。きわめて高い濃度が頻発したからである。

 20131月の北京市内におけるPM2.5月平均濃度は162 µg/3であり,1時間値で500 μg/3を超える日が数日あり,最大値は886 µg/3 に達した。その結果,呼吸器系や循環器系の疾病患者数が増加し,一部の工場は操業を停止し,道路や空港の閉鎖などが余儀なくされた。大陸で発生した高濃度の汚染空気塊は,北東アジアの広い地域を覆い,その一部は日本列島に及んでいることも,長距離輸送モデルを用いた計算によって確認された。

 この濃度上昇については,排出量の急増よりも特異な気象条件が関係していた可能性が大きいといわれている。温度が低いため暖房需要が増加し,風が弱いため汚染物質が滞留し,湿度が高いため粒子が膨潤したというのである。

 

7.今後の展望

個々の方法論に違いはあるにせよ,従来の大気環境の研究の進め方は,さまざまな解析結果を積み上げて,現象の全体像の組み立てを目指したものである。これをボトムアップ方式とよんでもよい。 

ところが今世紀になると,人工衛星による地球環境の監視や,化学輸送モデルによる大気汚染の予報が可能になった。いわばトップダウン方式で大枠をみておいて,それから細かい配分を議論することも可能になったわけである。ボトムアップ方式とトップダウン方式との共存が可能になったといってもよい。

では降水のモニタリングは,その役割を終えたのだろうか。そうではあるまい。東アジアでは,都市大気汚染や越境大気汚染を監視するうえで,降水のモニタリングが果たす役割は大きい。だが硫黄酸化物や窒素酸化物の広域輸送を考えていく限り,「酸性」の雨に拘泥する必然性はなくなった。アジアの水・物質循環系という大枠のなかで,さまざまなガス状・粒子状物質もあわせて,排出から沈着までのプロセスを追跡,あるいは遡上する方が現実的なのである。研究の視点も健康影響が懸念されるオゾンやPM2.5に移していくべきある。現に日本ではこの線に沿った研究がすでに始まっている。

こうした意味でEANETのつぎなる発展を図るためには,降水と比べると内容的にやや見劣りがする大気質のモニタリングを充実すること。輸送現象のモデリング研究を推進すること。この二つは日本の関係者の間では,共通の認識だといってよい。

だがアジア各国の政府の間には,広域大気汚染の見方について明らかに温度差が存在した。2010年に開催されたEANETの政府間会合では,『EANETの強化のための文書』が採択された。研究者の多くはこの二つが文書に盛り込まれることを期待した。だが一部の国の反対によって具体化しなかった。

もちろん各国には相応の国内事情があるのだろう。欧米でも排出量の削減協約にたどりつくには,10年以上の年月を必要とした。この間に越境大気汚染の物理と化学はたいへん進歩したが,最終的な判断は政治決着によるところが大きかった。

アジアについていえば,まず研究者が科学的な認識を共通のものにすること。そして為政者にも同じような認識が醸成されることが重要なのではあるまいか。

 こうした意味でPM騒動をきっかけに,中国の環境当局の姿勢に変化が見え始めたことは歓迎すべきである。環境当局はこれまでになく汚染状況を公表し,マスメディアもわりあい自由に伝えるようになった。もはや隠し通せる状況ではなくなったわけであるが,裏を返せば事態はそれだけ深刻なのである。国内的には一枚岩ではないようでもあるが,そのへんの事情は欧米や日本でもたいして違わなかった。経済成長と環境保全のせめぎあいは,環境問題の長い歴史そのものの構図だからである。中国の大都市の大気汚染は,つい半世紀近く前には私たちが体験したレベルのものであることも忘れてはならない。

 かの国は傲岸だが無知ではない。時間が解決する問題であると信じて,もう少し冷静に推移を見守っていく姿勢があってもよいのではなかろうか。


文 献



藤田慎一 : 酸性雨から越境大気汚染へ,成山堂書店,146p., 2012.




藤田慎一・三浦和彦・大河内博・速水 洋・松田和秀・櫻井達也 

: 越境大気汚染の物理と化学,成山堂書店,247p., 2014.



            藤田慎一 : 東アジアの酸性雨-30年間の顛末と今後-,

                   環境技術学会誌,4467-74, 2015.