第24回 危機管理としての感染症対策

            パンデミックを阻止せよ!

平成25年11月14日(木) PORTA神楽坂 18:30~20:30

 

浦島 充佳 (ウラシマ ミツヨシ)

 

東京慈恵会医科大学教授 

分子疫学研究室室長・小児科医長 医学博士

公衆衛生士、血液指導学会・専門医・指導医・評議員、

小児科学会専門医

明治薬科大学客員教授、内閣官房危機管理官アドバイザー

        昭和553月 東京都立富士高等学校 卒業

        昭和554月 東京慈恵会医科大学 入学

        昭和613月 東京慈恵会医科大学 卒業

        イギリスセントトーマス病院にて臨床実習

        平成 55月 医学博士学位取得

        ハーバード大学医学部関連病院ダナ・ファーバー癌研究所で血液腫瘍科研究員

           平成116月 ハーバード大学公衆衛生大学院 入学

           平成126月 ハーバード大学公衆衛生大学院 卒業

            Master of Public Health (公衆衛生修士) 取得

 

Novelty (新奇性): いつ気付くか?  知識や訓練が必要

 

New Mexico

1993514日、ニューメキシコの医学調査官のもとに20前後の同居する男女カップルが急性呼吸不全で死亡したという報告が舞い込んだ。最初に女性が死亡し、5日後男性という話である。517日には、インディアン・ヘルス・サービスに勤める医師から5人の急性呼吸不全による死亡が報告された。522日には最初の患者の兄、5日後その妻が呼吸不全を発症。患者発生はニューメキシコ、アリゾナ、コロラド、ユタの州境に集中している。そこでニューメキシコ当局は199311日以降に発症した原因不明の急性呼吸不全患者の報告を上記4州の医師達に依頼した。その結果同年3月以降14人の死亡例も含め18例(致死率78%)の呼吸不全がこの地で発生していたことが判明したのだ (NEJM 1994; 330: 949-55)

       ハンタウイルス感染症

       極東アジアの病気   北米ではみられない?  

       腎障害が主病態   肺障害が主病態?  

       致死率5%   8割近い

 710日、CDCはネバダ州の24歳女性より血清IgM(微生物に対する抗体の一種でIgGより先に上昇する)を調べ、このアウトブレイクはハンタ・ウイルスによるものであることを明らかにした(MMWR 1993: 42;570-572)

 この女性は77日に発症しており、ということは発症4日目でも診断をつけることができるというわけだ。

 特徴的な血液検査所見からハンタ感染症を疑い、5月中旬に診断を確定できていれば、アウトブレイクによる14人の死亡という結果にはならなかったのではないだろうか。

今回診断が確定したのはアウトブレイクが終息しかけた7月であった。

アウトブレイク時、例年にない程長雨が続いていた。

地球温暖化→水害→ネズミ↑→ハンタ・アウトブレイク というパターンに備えサーベイランス・システムを確立するべきである。

               米国現地病院の、厳重なエアカーテンと巨大な解剖室
               米国現地病院の、厳重なエアカーテンと巨大な解剖室

 

Colorado

 200819日、感染症専門医からコロラド公衆衛生局にウガンダから帰国した女性が不明熱で入院しているとの連絡があった。彼女は、ウガンダの2週間サファリ・ツアーでキャンプ、いかだの川下り、地元の村を訪問、野生動物の観察などをして11日アメリカに帰国。14日、ひどい頭痛、悪寒、吐き気、嘔吐、下痢が出現したが、旅行に持っていっていたシプロキサンなどの抗生剤を内服してしのいでいた。ところが、発疹がでてきたため16日と7日、外来を受診し採血検査を受け、鎮吐剤を処方された。白血球は900/mLと極端に低かった。18日、下痢が続き、腹痛、倦怠感、混迷などの症状があり、開業医のもとを受診。顔色不良、倦怠感、腸雑音の低下以外、所見で目立つものはなかった。18日の血液検査では肝炎との腎不全の所見を示していた。この女性は地域病院に入院となる。

 入院時、体温35.7度で熱は無く、点滴と抗生剤が使われた。その後、汎血球減少症、凝固異常、筋炎、膵炎、脳症など様々な合併症を併発したが119日に退院。入院中、レプトスピラ、ウイルス性肝炎、マラリア、アルボウイルス感染症、住血吸虫症、リケッチャ、マーブルグ*やエボラを含む出血熱の抗原抗体を調べたがいずれも陰性であった。回復期血清として114日(発症後10日)のものがCDCに送られたがマーブルグ・ウイルスや抗体価の上昇は認められなかった。

 6か月後の20087月、その患者は再度検査をしてほしいと申し出た。理由は、オランダ人観光客が、自分が訪れたのと同じウガンダのコウモリが多く生息するクイーン・エリザベス国立公園フィトン洞窟に行き、その後マーブルグ出血熱を発症し死亡したのだ。この女性も20071225日にこの洞窟を訪れている。後のインタビューで彼女と夫はその洞窟の中に1520分程度滞在し、その際、コウモリが彼らの頭上を過ぎ去ったのを思い出した。さらに彼女は洞窟の中を上っていく瞬間、岩の上に堆積したコウモリの糞に手をついてしまった。その後、洞窟の中があまりにもひどいにおいだったので、反射的に糞に触れた手で鼻と口を覆ってしまったのである。その10日後に発症

 今回の採血検査ではマーブルグ出血熱に対する抗体が陽性であり、前回入院時の保存血液を前回検査より感度のよいRT-PCR法で調べたところマーブルグ・ウイルスのRNAを検知した。彼女の夫や入院中の医療スタッフ、同室の入院患者など、彼女の体や体液に触れた人や周辺にマーブルグ出血熱を思わせる症状を示したものはおらず、また同じツアーに参加した他の8人中調査可能であった6人では、抗体価の上昇したものはなかった。さらに調査範囲を拡大し、この洞窟にツアーを組んでいる旅行会社を同定し、ツアーに参加した人を割り出し、質問紙を送ったり、e-mail でやり取りをしたり、血清検査の申し出をしたりしたが、だれも感染した人はいなさそうであった。

図左:エジプトオオコウモリの生息地域、図右:過去のマーブルグ出血熱のアウトブレイクのあった場所。両者はよく一致している。

 

Holland

 200875日、オランダの病院に41歳女性が3日前からの39度台の高熱と悪寒ということで開業医から紹介され入院となる。この女性は65日から28日、ウガンダ観光ツアーに参加したとのこと。出血熱の疑いもでてきたため、77日、ライデン大学病院の陰圧個室に転院となる。

 入院後、発疹、結膜炎、下痢、肝不全、腎不全が顕著になり、最終的には出血症状もでてきた。ウイルス検査のため検体はオランダ国立研究所とドイツのハンブルグにあるバーンハード熱帯医学研究所に送られた。710日、マーブルグ・ウイルスが原因であることがRT-PCR法とシークエンス法にて判明する。

 711日、患者は脳浮腫のため死亡。EID 2009; 15: 1171-5

 患者は7人のオランダ人と2人のガイドからなるグループ・ツアーに参加。患者を含む3人のツーリストと1人のガイドが619日にフィトン洞窟に入っている。患者と共に入ったツーリストの1人は「コウモリが観光客の方に向かって飛んできたわ。。。下にはたくさんの糞が落ちていたし。。。」と述懐している。彼女が撮影した写真をみせてもらったところ、エジプトオオコウモリが写っていた。

ウイルス性出血熱が疑われた段階でオランダ政府がとったアクション

1.オランダの保健所ならびに保健省に報告。

2.国は臨床医、微生物学者、ウイルス学者、公衆衛生専門家、国危機管理部門の担当官、報道官か

  らなるアウトブレイク対応チームを発足。

3.チームはほぼ連日電話会議を招集。

4.1) 患者が入院した(している)2つの病院のリスク評価。地域のリスク評価。

   2) 接触の程度をクラス分けする。

     3) 接触者経過観察のためのガイドライン作成。

     4) 医療関係者ならびにメディアへの情報提供。

     5) 危機対応進展のモニター。

 

マーブルグウイルスが原因と判明した段階でオランダ政府がとったアクション

1. 記者会見で現状と感染の広がりを食い止めるための対策について説明

2. 国際保健規則に基づきWHOに事態を知らせる。

 

どのような人をどのくらいの期間、何をパラメータにモニターするのが適切か?

1.どのような人 ⇒ 患者が発熱した72日から死亡日まで患者と接触した人を対象にモニター

  する。

2.どれくらいの期間 ⇒ 潜伏期間は長めにとって21日とした。つまり接触してから21日間、体温

  測定を課すことと、海外など遠方への出張を控えるよう要請。接触者をとに分ける。。

3.検温

 

対象をハイリスクとローリスクに分けるとしたらどうなるか?

ハイリスク者は患者が最初に入院した病院で同室だった患者3人や何も防護措置をせずに患者に触れたり採血をした人、検体を扱うなどした病院スタッフ⇒13回検温

ローリスク者は、防護措置をしながら患者と接触した医療スタッフ。発症前ではあるが、ツアーに参加した人、発症から入院までの間患者のそばにいた人(体液には接触していない)、最初に検体を検査したバイオセイフティ・レベル3の研究所職員。⇒12回検温

 その結果、64人がハイリスク(12回検温)、66人がローリスク(11回検温)、合計130人が

  検温の対象となった。38.0度以上であれば、保健所に連絡する。

 81日にモニターを終了したが、誰も発熱したものはいなかった。

この対象者の採血は必要か? 採血するとしたらいつ頃が適切か?

 抗体が上昇するのは少なくとも1か月以上はかかり、かつ長期に上昇しっぱなしのため、半年後

 くらいに同意の得られた人から採血。しかし全例で陰性であった。

今後?

最近アフリカのジャングルも含め世界各地への旅行者が増えている。よって、日本でも同じような事態が発生しないとは限らない。

 

Sverdlovsk

1979410日、インフルエンザ様疾患+肺炎で死亡した患者の病理解剖が行われた。その際、肺とリンパ節に出血があるのを確認。その後、炭疽菌が原因であることを発見。類似剖検例を再検討したところ、全てが吸入炭疽であると判断した。炭疽は人畜共通感染症で汚染された動物肉を食して腸炭疽、羊毛に触れ皮膚炭疽というパターンが一般的だった。

モスクワでは、この危機的状況に対処するべく特殊緊急委員会が結成された。スベルドルフスクには炭疽菌を使った生物兵器工場があったのである。地域住人はこの事実を知らされていない。軍幹部を含む政府高官がスベルドルフスクに数日以内に到着し、市を4月中旬より6月初旬まで封鎖。スベルドルフスク住人には、闇市での腐敗肉による感染症が原因であったと公表し、炭疽菌という言葉は一切使わなかった。一方で、一部の家族は隔離、軍隊がビルや木を焼き払い、ブルドーザーで表面の土は取り除かれ、道は一晩で舗装された。医療チームは消毒した台所や寝室からサンプルを回収し、予防用抗生剤を配給。感染者は地域病院に収容。ICU(集中治療室)および感染病棟のベッドは500にのぼった。死者を漂白粉で覆い、プラスチックシート内に収容し警察警備のもと焼却されたのだった。

CIA(中央情報局)は、 衛星監視や様々な筋から情報を得、スベルドルフスクの生物兵器工場において事故があったことをほぼ掌握していた。その後、ソビエトからロシアに変わり、ハーバード大学のメセルソン博士が現地調査に入ることが許された。その結果患者発生は197944日から18日の間、腸炭疽*79例(致死率は81%)、皮膚炭疽が17例(致死率は0%)、という実態が浮かび上がってきた。

Science 1994 266; 1202-8.

*腸炭疽の記載があるが、状況から吸入炭疽であったと推測される。

「1979年4月2日(月)、朝8時、技術員は通常通り作業を始めた。前週金曜に職員が乾燥・製粉機の排気システムにおけるフィルターを取り外したが、その後新しいものを取り付けるのを忘れていた。そのため、月曜朝、炭疽菌は工場から町へリークしたものと想定される。」

    アメリカに亡命の生物兵器関係トップ・サイエンティスト、ケン・アリベック著書

   「バイオハザード」

 

               講演中の浦島先生
               講演中の浦島先生

Oregon

 1984917日、オレゴン州の保健所にダレスあるいはオレの2つのレストランのいずれかで食事をした人が数日後に胃腸炎になっているという知らせが入る。サルモネラが原因であることが判明。翌週より他のレストランで食事をしたものの間で胃腸炎が急増したという知らせを受けた。最終的に751人の食中毒患者を同定。流行曲線を描くと9月の中旬には小さな、9月の後半には大きなピークが認められる。不思議なことに、同じダレスではあるが、2番目のピーク時患者は1番目のピーク時患者とは異なる数件のレストランで発生していた。聞き取り調査からサラダ・バーが原因と判明。しかし、レストランによってサラダ・バーのメニューは異なり、どの野菜が原因かは判明していない。12のレストランへの食材提供経路は異なり、しかもしっかり調査を行っているが明らかな感染源はみつからなかった。生野菜の管理も悪くなく、店員で食中毒になったものもいたが、衛生上問題は見つからなかった。

JAMA 1997: 278: 389-95

 ラジニーシュプラムという宗教団体が地域の選挙を妨害するためにレストランのサラダ・バーにサルモネラ菌をまいたのが原因だったのだ。最初2つのレストランで試験的に行いうまくいくことを確認。その後10のレストランで同時に試したのだ。この宗教グループが別件で逮捕された際、サルモネラ菌をサラダ・バーに混ぜたことを自供してはじめてわかったバイオテロである。

 CDCも調査に入っているが、また751人という非常に大きなアウトブレイクだったにも関わらず、アウトブレイク調査当時、バイオテロだとはだれも気付いていなかった。

しかし後からみると、ふつう12レストランの食材提供経路が一致していることが多いが、それがないというのは不自然である。また2つのピークで異なるレストランが食中毒源だ。普段のパターンと違うと認識できることが重要。CDCというプロ集団でも「普段と異なる食中毒」という認識あるいは直感が働かなかったケース。

     教訓

                     ラジニーシュプラム 1回目 < 2回目

         •       サリン事件     松本  < 東京

         •       炭疽菌郵便テロ   1回目 < 2回目

 

London

 2006111日、44歳白人男性はロンドンのホテルのバーで過ごし、ロンドン中心部の寿司バーで食事をとった。数時間後、上腹部痛と嘔吐があり、3日にロンドン北部のバーネットにある総合病院に入院。2週間前後で口内炎、骨髄抑制、脱毛など、抗がん剤あるいは大量放射線被曝の際にみられるような症状が出現し、1117日に大学病院に転院となる。

 この男性の名はアレキサンダー・リトビネンコ。元KGBで、ロシア政府に対して批判的であった。入院中警察の警備下に置かれる。転院後19日の時点では、タリウム中毒が疑われていた。警察は20日の時点から捜査を開始する。

 1123日死亡。翌日ポロニウム(210Po)が原因と判明。警察はホテルのバーと町の寿司バーでポロニウムを検知した。ロシアの追手がポロニウムを使ってリトビネンコを暗殺しようとしたことは誰の目にも明らかだった。

良かった点

1. 早い段階での警察とHPAの共同作業が功を奏した。

    特に死亡する前、疑い段階で作業を開始。

2. 事前に警察とHPAの間で計画および訓練が成されていた。病人のプライバシーと犯罪捜査に関して事前に取り決めが交わされていた。

3. 早期より指令をだすレベルを国に移管した。

課題

小さなエリアで発生した事件を国際的にどう伝えるか?

逆に海外での事件情報を得たとき、どう対処するか?

我々の学ぶべき点胃腸炎症状は感染症のみではない。

                      和歌山カレー事件も初期食中毒と誤診されていた。

 

Washington DC

 1019日、ニューヨーク・ポストの皮膚炭疽に罹患したヒューデンの作業場で未開封の手紙から炭疽菌が発見された。その炭疽菌はベビーパウダーのようになっており、空中に舞いやすいが、すぐに舞い落ちてきた。ニューヨーク市保健監のコーエン博士は「触っただけで炭疽になることもないだろう。人々の健康を脅かすほどのものではない」とメディアを通じてコメントした。

このようなコメントを受けて人々はどのような行動にでたと思うか?

実際FBIはこの作業を3日で終わらせた。

 

 1112日(月)5時、厳重にテープで巻かれたあやしい手紙を発見した。109日トレントン 消印の、ダッシュルへの手紙のような手書きの上院議員のパトリック・レーイにあてられたものだった。送り主はダッシュル の手紙のように小学校であった。中にはかなりの炭疽菌が入っていた。

 この手紙は注意深く分離され、科学者の手に渡った。FBIは最初23000の炭疽菌が含まれていた事を公表した。さらに2週後、兵器の専門家は、「議会に送られた炭疽菌は非常に細かい粒子でできており、1グラムあたり1兆個の炭疽菌を含み、1万の炭疽菌吸入が致死量だとすると、1兆個で1億人の催殺量である」発表しなおした。エイムズ株として知られるこの株は、米国防衛研究所など国内のどこかからでたものと推定された。レーイはNBC の番組に出演し、彼に送られた手紙は「10万人を殺すに足る量の炭疽菌が含まれていた」と述べた。

 トレントンの消印が押される郵便ポストは全部で628ある。FBIはこれをくまなく調べた。なんと627の郵便ポストは全部白だった。彼らも半ばあきらめかけたであろう。しかし、628番目の郵便ポストから炭疽菌が検知されたのだ(FBI Anders DL談話)FBIはそこから指紋を採取し、炭疽菌を含む郵便物の指紋と一致することを確認し、単独犯と推定。最終的に「20019月,米国市民はアメリカ陸軍伝染病医学研究所の1人の職員が生物兵器として入手した」と結論。しかし、この職員は起訴される前に自殺したため、真実は闇の中である

 

SARS流行から学んだこと
Lessons from SARS
 

 200211月広東省を訪れた中国人ビジネスマンにはじまった急性呼吸不全を主徴とするSARS: Severe Acute Respiratory Syndrome は世界で8,439人を巻き込み、812人の死者をだしたとされている。この新興感染症は、20037月までには、人々の努力により封じ込めに成功し、その後アウトブレークをみていない。しかし、本ウイルスは、他の動物種を自然宿主とし、いつまたパンデミックにならないとも限らない。更に、今後SARSのような未知の感染症が流行する可能性も考えておかなくてはならない。

 SARSウイルスは中国をはじめ、今も尚中国他の複数国が保有し研究している。このことは、ワクチン並びに治療薬を先行開発した上で、自然発生的パンデミックを装って世界を混乱に陥れ、自国の競争優位を築くことも十分可能なのです。

ベトナムがSARS封じ込めに成功

 感染者は既に36名に広がっていた。これに対してベトナム保健省は患者さん家族の見舞いを禁止し,診療医師も病院に寝泊りするなどして徹底的な隔離を行った。さらに,SARS疑い例に対して発症24時間以内に最近の行動に関して詳細な聞き取り調査を行っている。 また,死亡患者さん名までも含めて徹底的な情報公開に踏み切ったのである。もちろん,海外からベトナムに入る人たちも入念にスクリーニングされた。

 

Lessons from SARS

1.動物を自然宿主とするウイルス等(SARS、インフルエンザ、西ナイル熱など)は、今後人類に

  とって大きな問題となるであろう。

2.国際化が進んだ現代社会では、ある国のある地域で発生した問題が、瞬く間に世界中の問題に

  成り得る。

3.国際的研究所が協力して、2週間でSARSウイルスの遺伝子配列を同定できたことは、分子

  生物学の進歩といえる。

4.しかし、SARSの封じ込めに最も大きな役割を演じたのは、疫学的手法であるコンタクト・

  トレースであった。

5.ITの進歩があり、情報交換が容易である。しかし、WHOSARSの危機を悟ったのは、

  ベトナムの現場に在ったCarlo Urbani 医師であった。情報化社会でありながら、我々は情報の

  波にのまれている。結局は、人からの情報が重要だ。

6.医療従事者が被害者であると同時に感染拡大に最も影響していた。

7.患者早期発見早期隔離が功を奏したわけだが、日本において、それを実行できる準備が整って

  いるか点検する必要がある。 

 

                         聴講中の参加者
                         聴講中の参加者

 

スペイン風邪

1918-1919年インフルエンザパンデミック

アメリカ各州の対応策の違いと死亡率

Markel, H. et al. JAMA 2007;298:644-654.

最初の感染ピーク時の死亡率

Philadelphia: 249.7 vs. Indianapolis: 38.8/10万人週  x 6.4

全体の死亡率

Grand Rapids: 806.8 vs. Pittsburgh: 210.5/10万人24x 3.8

ボストンでは学校閉鎖、集会禁止以外にビジネスアワーの制限などの措置がとられた。

しかし、政治的介入が13に経ってから開始され、死者の数は多かった。

フィラデルフィアでは、8日目から政治的介入が取られたが、学校閉鎖と集会禁止のみで、感染ピークが最も高かった。急に患者が増えるため、医療機関が対応しきれず、十分な医療を受けれずに死亡した可能性がある。

ピッツバーグでは、政治介入が7日目から開始されてはいるが、初期学校閉鎖と学校の子ども達へのリスクコミュニケーションしか行なっていない。

ニューヨークでは、11日前から早期介入を行なっている。大都市の割りにピークは遅くしかも低めに抑えられている。政治介入は、隔離・検疫とポスターによるリスクコミュニケーションやビジネス時間を交代制にするなどの措置がとられた。

シカゴでは、政治介入を2日前から開始しており、しかも集会禁止、隔離・検疫が行なわれた。他の方法として、公共交通機関内にリスクコミュニケーションのポスターを貼る、換気をよくするよう啓蒙するなどした。

インディアナポリスでは、7日後から政治介入を行なっている。初期マスク着用推奨。後に義務。会議などで人が集まることを禁止。ビジネスの時間を交代制にする。学校では換気に気を使うよう指示。続いて学校閉鎖、集会の禁止。隔離・検疫を行なっている。感染流行のピークもよく抑えられており、全体の死亡率も低い。ピークが低い場合、早期に介入を中止すると、感染が再燃しやすいかもしれない。

シアトルでは、集会禁止、学校閉鎖、車や劇場はよく換気する、床屋や歯科医はマスクをする(後に市民全員)、ビジネス時間の制限などが政治介入として5日後から導入された。遅れて隔離・検疫が成された。ピークは抑えられているが、介入を早期に中止したため、もう1度ピークが発生している。

まとめ

           介入時期:バックグラウンドの死亡率に対して死亡率が2倍になった日から7日未満

          に介入が開始される。

           介入期間:死亡率がバックグラウンドレベルに落ちるまで継続。ケース・バイ・ケース

         だが、およそ10週間か(2ヶ月半)。流通も滞るため、医薬品および食品の供給

         を国が支援

           介入種類:患者隔離、接触者検疫

         学校閉鎖、集会禁

         ボーダーコントロール(in/out)は、

              週間死亡率がバックグラウンドの2倍を超えた時点で把握しても間に合う

 先に示した人口動態統計に基づき、1899年から日本全国の月毎の全ての死亡(緑)、肺炎・インフルエンザ(赤)、インフルエンザ(流行性感冒)(青)を示したもの。スペイン風邪のピークは1918年から1919年、そして1920年の2つが認められる。このピークは、1923年にあった関東大震災のものよりも大きいことが分かる。第二次世界大戦中後の6年間はデータが不十分であり、示していない。

 

47道府県の地域間格差

               全ての超過死亡率: 14

             最悪:香川2,031/10万人

             最良:東京   149/10万人

 

肺炎、脱水など救命し得る病気で死亡した数≈    医療機関へのアクセス

                          医療レベル

                                                            栄養状態

                           社会経済レベル

 人口動態統計に基づく、いろいろなパターンで調査したところ、47道府県の死亡率は、スペイン風邪流行前年(1917年)の小児の死亡率、私生児の割合に強い相関を示した。

 小児の死亡率の中でも1歳児の死亡率が最も強い相関を示していた。大正6年当時の1歳児の死亡原因といえば、脱水、肺炎、髄膜炎、麻疹であった。現代では救命できる、またしなくてはならない疾病です。

 すなわち、平時救命できる病気の患者を救命できない地域では、スペイン風邪流行のような有事の際、多くの犠牲者を出しうることを示唆している。また、私生児の割合が多いということは、社会・経済的な貧困の割合も示しているであろう。例えば、家で看病する人が居ない、医師に診て貰えないといった情況が想像できる。

 そのため、新型インフルエンザがパンデミックになった際、犠牲者の数を左右するものとして、医療機関へのアクセスや医療レベルといった地域医療、またその土地の文化や栄養状態といったものも大いに関係があるだろう。 

 今後、H5N1インフルエンザが流行せずとも、何らかの形で我々は危機に巻き込まれる可能性がある。それはSARSのような新種の感染症かもしれないし、バイオテロかもしれない。そのため、新型インフルエンザが日本を襲ったときどう対応するかを事前に検討しておくことは、他のものにも応用が利くわけで、そういった観点からもとても重要であると思う。

 どうしても目前に危機がせまらないと、人は動かない。医療でも、症状があれば患者さんは薬をしっかり内服してくれますが、症状がなく予防だけの目的では、長続きしないのが常である。

 この将来せまりくるかもしれないバイオの脅威に備えることも似ており、平時であればなかなか変えることができません。しかし、昨年来新型インフルエンザに対する危機意識が高まっている今こそシステムを変えるチャンスなのではないでしょうか?

 ご清聴ありがとうございました。

                         懇親会参加者
                         懇親会参加者

 

浦島先生 著書 

パンデミックを阻止せよ!: 感染症危機に備える10のケーススタディ  DOJIN選書

放射能汚染ほんとうの影響を考える フクシマとチェルノブイリから何を学ぶか  化学同人

エビテンスに基づく小児科:専門診療編  鍬谷書店

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How to Make クリニカル・エビデンス  医学書院

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病態生理できった小児科学 病態生理できったシリーズ  医学教育出版社