第21回 マンションの望彩(ぼうさい)コミュニティ

平成25年6月25日(火) PORTA神楽坂 18:30~20:30

千田節子 氏

 東京湾岸集合住宅

ぼうさいネットワーク 代表幹事

 

今回は非常に勉強になり、目から鱗そのものでした。講話に加え、楽しい光景のスライド、朗読あり、歌あり、ニヤリから抱腹絶倒までと目まぐるしく、居眠りする隙なぞは皆無、というものでした。会員にはマンション住まいで役員になっている方も多く「同じだ!」と問題や悩みを共有できた講演でありました。まさしく市民の危機管理そのものでした。(編集者コメント)

概要

阪神大震災が起きて翌年、私達は全国に先駆けて自主防災会を発足させたが、それ以前の防災訓練といえば消防署お仕着せの「消火訓練」が主で、毎年変り映えのしない消火器で水をジヤーツと放水するだけの超マンネリ訓練にうつつを抜かしていた。

そこへ阪神大震災が起きて、まさしく「何これ!」だった。一番感じたことは「何もせずにいられない、本気で何かしよう」だった。

 

ちょうと大震災の前年、防災訓練を仕事で押し付けられていた管理人が退職し、訓練を義務付けられていた管理組合として誰かがそれを引き受けねばならなくなった。管理組含、自治会の双方で防災対策準備委員会のようなものを立ち上げ、それぞれ責任の所在を押し付けあいながら、おそろしく形式的な理念とシステムで固めた文書が出来上がっていた。

そういうものは作ることで任務完了、という従来型のテスクワークで、それも災害など体験したこともないので年一回の消火器訓練をやれば問題はなかったはずだった。

しかし、誰がそれをやるかで最後の詰めができていなかったところに阪神大震災が発生し、適当にまとめあけたその文書が俄然、意味を為さなくなった。

私は管理組合の事務局専従だったため、急避、この危機に「本気で」太刀打ちが出来るリーダーをさがしたが、ぴったりの男がいた。自営業で時間はある、祭りを仕切る、ひとをアコで使う、図体がでかい、など「ガキ大将系」の兄さんだった。

 

Tというその男を立て、「なぎさ防災会」として会員募集をしたら4, 50人すぐに集まってきて驚いたが、ほとんどは「自由な方達」で最初からなぜか 「わくわく」して集まってきた。何より当番で回ってきたというお役目的な責任というものがなく、アゴで仕切る会長にみな喜んで従うのだ。

会長はたった指2本で「ハイこっち、ハイあっち」と見事な采配ぶりで、マニュアルなんざ無用の長物であった。とはいっても、「形から入る」というポリシーのもと、あっというまに「大名火消しマーク入りの半纏」「鍋釜、ガスコンロ」「防災会規定」が満場一致で決定し、しかも、会長の「こんなもの面白くなきゃやってらんねえ」というお言葉で、次々に珍案、奇案が採用された。

例えば、半纏を着て江戸川の土手を二列 (何故か二列!) になって、木遣りを歌いながらリヤカ一にガス、こんろ、鍋、食材を積み、臨海松園まで行軍し、現地にて味噌汁を作り、(中にほ炊飯器ごと持参したものもいて、家人に怒られていた)ただ朝飯を食うだけの訓練とか、ブルーシートで避難所を作るコンクールとか(夜中にこっそり酒を喰らうやつがいたり、騒ぎすぎてあえなく2回で挫折)書ききれない出来事が続いた。

                     なぎさニュータウン
                     なぎさニュータウン

そうはいっても、並行して「防災会規定」が作られ、「消防計画」も整えられ、防火管理者、防災士の講習も受け、様々な防災講演会にも半纏そろいで出かけ、中身はともかく「なぎさ防災会」は「暴妻会」「亡妻会」などと自認しつつ、所帯は100人を超えるほどになっていた。

その中で「神田佐久間町の教訓」という関東大震災時に、町内のバケツリレーによる団結で一人の死者も出さず、家々も守ったというエピソードは会員の心をとらえ、この教訓により「自分達の町は自分達で守る」と決意したのだった。

 

これらは阪神の悲惨な状況とはまるで別世界のようにも思われるが、そうではなく、地域コミュニティが強い地域は立ち直りも早かった、という神戸の現実も見聞きしていたし、何よりなぎさニュータウンというところが荒野のようなところに突如生まれた団地で、何もないところから若い子育て世代の親達は子ども達のために「豊かなふるさとづくり」を必死に築き上げたという底流があった。

そういう祭りなどで真っ先に飛び出した会長や同志たちには「何もやらなきゃ何も起こらない」という連帯の思想がしっかり生きていた。

 

 一方で仲間内だけの独りよがりもまた問題がなかったわけではない。派手にやればやるほど世間の目はきびしくなるのが普通である。なので、体制を整えつつ、様々なレポートを発信しながらイベントへの参加を促し、常にどこからでも見える活動を心掛けた。

 

 5年目に突然「防災まちづくり大賞・総務大臣賞」を受賞し、以後も東京消防庁による「地域の防火・防災功労賞・消防総監賞」などもいただき、周辺からも認知されて以来、本気で「防災とは何か」と考え、地に足のついた思想を根本から鍛えなおす良いきっかけになったと思う。

 

 特に「ものづくり」では700トンの上水の緊急遮断弁とともにジェネレーターによる給水装置(今はすでに古くなってしまったが)、訓練専用の屋内消火栓、大型備蓄倉庫、レスキューキッチン2台、ハロゲンライト、リヤカー、トイレ、救急箱、スコップ、バール、大型ジェネレーター3機、棒担架、布担架、ストーブ、ブルーシート、トランシーバーなど、また、避難確認完了シート、無事ですシート、要救護シール、緊急避難先達絡者名簿、協働防災システムガイド、などなど。

 「ことづくり」では平成14年からキタコンを始めたが、都心から災害のポイントを学びながら約14K17Kくらいを100人前後で歩き、現在に至っている非常に人気のあるイベントだ。その他防災訓練は高校生、中学生の参加や周辺の防災会も呼びかけ、約400人を超すようになっている。

                      講演中の千田先生
                      講演中の千田先生

 時を経て、当初の軽やかな遊び心を重んじた時代とは防災も形を変えて、世代交代もする内「自分達のまちは自分達で守る」というフレーズにも疑問が生じてきた。「自分達のまちは自分達だけでは守りきれない」と今は確信している。高齢化時代で65歳以上が25%、あと5年以内に30%になる。

 あの東日本大震災は何より恐怖と無力感を突きつけた。あと数年で超高齢化時代がはじまり、そこへ究極の大震災が襲ったらと思うと「楽しくなくちゃ防災じゃない」などと言えなくなる。

 しかし、それでも人間は生きつづけるしかない。東日本大震災の時、多くの人々が生まれて初めて上空からリアルに津波の映像を見て、まさかこれで日本は終わり?と漠然と思ったと思うが、一年後、二年後にはとにかく瓦礫の中からお店を立ち上げ、寄せ合いながら励ましあい、生きながらえてきた。

 8O歳も9O歳もちゃんと生きている。小さな子ども達も大切な父母を失っても多くの人に支えられて生きている。だから、より強く思う。「自分達だけでは守れない。しかし、多くの寄りそえる仲間と、日頃からたくさんつながっておこう」と。

 多くのモノもマニュアルも大切だけど、今一番必要なのは「生きる力を育む」ことじゃないかと、遊ぶだけじゃなくて一緒に働く、そして「手と声」をかけ合う、そういう素朴な生活が何より大切と思う。

 

 今、私は防災会副会長を降りて若手に交代して、首都直下地震を見据えて超高層マンション、高層マンションが建ち並ぶ湾岸エリアのマンション防災ネットワークを立ち上げている。最先端の建築技術を集めた超高層マンションは最初から「耐震、免震」構造ということで防災に対して関心が薄かった。お隣り意識も希薄でネット時代という情況もあり、なかなか防災意識が浸透しない。その中であえて「ぼうさい」とひらがなにしたのは、防災を学ぶうちにあれもこれも全部防災につながることが分かったのだ。健康、高齢化と福祉、教育と文化、コミュニテイ、観光と地域開発、広域連携、子育て、企業と地域貢献など、ふと気がつくとどれも「K」の頭文字からはじまるではないか。Kが八つ、Kが八、・・・なんとカッパ、カッパは地域の守り神という。そして入り乱れた世の中を喝破するともいう。つまり、「防災」とは広く住まいづくり、人生の彩りを考えたり、祭り心を大切にしたいという願いを速めて「ぼうさい」としたのである。意味ありげで実はほとんどこじつけだが、緩やかなアナログ手法の「ぼうさい」を今後とも語り継いでいきたい。

                      千田先生を囲み交流会
                      千田先生を囲み交流会

参考

1.なぎさニュータウン(高層マンション) 14階、7

居佳世帯: 1324世帯 約4,000人弱の住民

なぎさ防災会: 平成8年発足 (阪神大震災平成7)

キャッチフレーズ:「楽しくなけりゃ防災じゃない」「自分達のまちは自分達で守る」「なにもやらなきゃなにも起こらない」

 

2.会員は任意加入

54人~現在は110人程度

平成13:総務省消防庁主催「防災まちづくり大賞」総務大臣賞 受賞

平成18:東京消防庁主催「地域の防火防災功労賞」最優秀賞(消防総監賞) 受賞

 

3.防災活動の進化

地域の災害の歴史を学ぶ 布担架(狭い階段を使う) 防災備品を整備、緊急防災用住民名簿整備、防災システムガイドの作成など(フロア会・防災会員・自治会・管理組合の役割)

 

4.平成20:東京湾岸集合住宅ぼうさいネットワーク発足

主な活動:湾岸エリアの超高層マンション訪問、海上キタコン、ぼうさい朝市などを経て現在は年2回のフオーラムと隔月の定例会学習

第1回フオーラム: 大地震発生! 超高屠ってほんとに大丈夫?

2回フオーラム: そのときどうする!? 首都を襲う大浜水

3回フオーラム: 3.11の街撃! どうするマンション防災

4回フオーラム: 首都圏を襲う次の大地震で「いのちと暮らし」はどうなる! ?

5回フオ一ラム: 大震災から1年、あらためて「集まって住むこと」を問う

6回フオーラム: 巨大地震を生き抜くマンションライフとは

7回フオーラム: 生かそう! 女性の防災力と減災力

 

5. 「自分達のまちは自分達だけで守れるのか」

地域の急速な高齢化: なぎさニュータウンは2年前の国勢調査で約25%が高齢者

5年後は35%になる。江戸川区の平均より高率。原因は定看率がよい。

災害時は滞留せよ、という指示が出る。

生活を続けるためにウィンチの開発をした。個人的には30m口一プ実験をした(10)

20戸のフロアでおよそ75歳以上が半分以上(認知症、障害で歩行困難など)

残りも65 歳以上が3割、若い家族は1軒。その他1, 2

新しい防災ガイド、住民名簿を全戸配布

緊急用の住民名簿は3回の更新を経て、約8剤以上の登録がされている。

 

6. 様々なコミュニティの取組み

緑を育てる会(28年経過) 33名の会員のうち約17名が月2回の作業に精を出している。

カラオケ会、バッハ亭、読み語りの会、季節ごとのイベント、麗樹会活動、虹の会、防災会

自治会活動: 夏祭り、棟ごとのイベント、フロア会、こいのぼり委員会、近隣地域の運動会など

      高齢者見守り活動、環七セーフティロード作戦など